2011-3-11を振り返る

東日本大震災から今年で14年となる。


震災で国内最大の被災市となった宮城県石巻市。
今回私が訪れたのは石巻市南浜地区の「石巻南浜津波復興祈念公園」。
津波、火災、地盤沈下の複合的な被害に見舞われた地域です。
かつては住宅街だった跡地を整備し、震災から10年後の2021年3月に開園しました。


中心部には国営の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」が建てられ、近くを通ると目に留まるほどの立派な建物です。
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この立派な建物の中には震災当時を語る方のインタビュー映像や、震災・津波到来時のパネル展示や映像を見ることができます。
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建物を出ると一面に続く緑の丘。
遠目に見える真新しい公園や工場。
まだ冷たい海風が、ただ、吹き渡るだけ。
芝生が敷き詰められた約40haという広大な公園は、遠く遠く、どこまでも見渡せる。


丘に上がり見渡すところにあったパネル。
かつては住宅街でした。
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震災以前この地を訪れたことがない私にも、変わり果てた風景が震災の規模がどれだけ大きなものであったか安易に想像ができるものでした。

要所要所に津波到達ラインが経ち、そのラインが驚くほど高いものでした。

丘を下り何もない広大な芝生を一緒に訪れた私の子供たちは元気に走り回る。


その先に震災遺構「門脇小学校」があった。
現在344件ある震災伝承施設の中で、唯一「津波火災」の痕跡を残す遺構だそうです。
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『津波はとにかく上へ上へ逃げるという垂直避難は時として全く通用しない』という教訓を伝え継いでいます。


小学校のある一帯は津波の襲来により1階の天井近くまで波が押し寄せ、さらに、燃えながら流れてきた家屋などが校舎にぶつかって延焼。
鉄筋コンクリート3階建ての建物がほぼ全焼。
教職員や避難住民らは火が回る前に裏山に逃げて無事だったそうです。

火災の被害を受けた校舎は中央部が残されており、体育館と特別教室棟は展示館として整備されています。
展示館には門脇小学校の被災状況、そして石巻市の被害状況など数多くの資料が展示されていました。

伝承館はパネル展示や映像が多くを占めていたのに対し、こちら門脇小学校はまさに震災の悲惨さを肌で感じられ、心に突き刺さるものでした。



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あれから14年が経ち、私は4人家族となっています。
上の娘はこの春小学4年生になるが、震災遺構の門脇小学校を一緒に訪れ、震災の悲惨さ、地震や津波によって火災が起きる可能性もある、まずは「とにかく逃げる」ことの大切さを伝えました。


私が伝えたかったことを彼女がすべて理解してくれているかはわかりませんが、一緒に震災遺構に足を運び、当時の状況を一緒に想像しながら、何かを感じてくれていればうれしく思います。


東日本大震災の震災遺構を訪れたことない方はもちろんのこと、14年が経ち記憶が薄れ、防災意識が薄れている今だからこそ是非訪れてほしい場所、訪れたひと各々に何か感じることが出来る場所でした。


by:WY

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